「聖霊の力による希望の輝き」 08.06.13
ローマの手紙15:7〜13
黒木安信牧師(浅草橋教会牧師)
争いが満ち、人間が人間でなくなってしまったような事件が頻発する
世界の中で、人や被造物の呻きが溢れている。しかし、聖書は、
神さまをほめたたえながら、希望に満ち溢れた生涯があることを語る。
聖書は、「キリストがあなたがたを受け入れてくださった」と告げる。
受け入れられることは、愛されていることである。神のもとには、
永遠の自分の「場」がある。それが、希望の根拠となる。洗礼を受ける
ことで、人はキリストに受け入れられ、場を持つ。
神に受け入れられるのは、単にその人間が幸せになるためだけではない。
受け入れられた者は、「神の栄光のために」生きるという、永遠の役目を
与えられる。生き方、役割がはっきりと定まった人生を進みはじめる。
定まりぶれない生き方において、人間の業でなく、神の業が起こる。
主イエスに出会うときに、人はひとりではないことが分かる。
人はひとりでは生きられないが、周囲の人を受け入れることは難しい。
真に他者を愛することは簡単ではない。しかし、それは仕方がないと
いって済ますべきことではない。罪ゆえのことである。他者と共に生きて
いくためには、神によって霊的な豊かさを与えられ、罪から解き放たれる
ことが必要である。神に求めることで、祈りが芽生える。聖書から、忍耐と
慰めを学ぶ。希望があることを信じる者となる。キリストによって
変えられていくことが起こる。
「希望の源である神」の前で、人は輝く者となっていく。主イエスの前に
ひざまづき生きることでそうなる。主イエスは、ご自分の十字架によって、
すべての民が神を讃美し、褒め称えることができるようになさる。
罪ある卑しい私たちを、御国に迎え入れられる者とし、主と同じ姿に
変えてくださる。
キリストに愛され、受け入れられ、場を与えられた私たちは、
聖い霊を与えられている。良き使命を果たしながら、与えられた
生涯を歩んでいきたい。 (文責 浅見覚)